スタッフ紹介 - 近藤 千晶
保育園時代
私は、岡山市に生まれました。
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小さい頃は、とにかく目立ちたがり屋でした。
保育園の頃の話です。私の通っていた妹尾保育園は、音楽に力を入れている保育園で、鼓笛隊というものがありました。大太鼓・小太鼓・シンバル・キーボードなど色々な楽器を演奏しながら、パレードをしたりしていました。私はその鼓笛隊を一番前で指揮をしている指揮者がやりたくて、母親に「先生に言って」と頼んでもらいました。
指揮者はライバルが多かったのですが、最終の2人に選ばれました。先生からは「1年を2人で仲良く半分ずつやろうね」といわれ、1年の前半は、楽器担当に回ることに。鼓笛隊の練習は、とても厳しく保育園に行くことが嫌で嫌で仕方なかったです。でも、後半は「指揮者が出来るから!!頑張らなくちゃ。」と母親に言われ毎日頑張って行っていました。
しかし、前半が終わりかけた頃事件は起こりました。先生から、「千晶ちゃんは、太鼓がとても上手だから、後半も頑張って欲しい」と頼まれました。私は、そんなこと言われても、「指揮者がやりたい。」と泣きながら、言ったそうです。その頃から、頑固だったみたいです。(笑) 結局、母親と先生に説得され、1年間3つの太鼓(トリプルティンプトンという楽器)をやりました。この楽器めちゃくちゃ重いんですよ。小さい頃から背が高かったからぴったりだったのかもしれませんが。(よく男の子に間違われていました。)
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この事件で私の性格に頑固に負けず嫌いがプラスされました。その指揮者を争ったライバルがなんと数年後、同じ高校に進学していました。ビックリですね。
小学校時代
小学校生になると、色々な習い事をやりました。習字、水泳、ポートボール、公文、この中でも、私は、水泳が好きでした。夏になると目立てるから!(やっぱり目立ちたがり屋みたいです。)夏休みは、希望者のみ集めて、大会に向けて練習するのですが、色んな先生から「スゴイね」といわれるのが嬉しくて、毎日暗くなるまで泳いでいました。小学生のころは、私は、真っ黒に日焼けしていました。
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小学校のときにお世話になった担任の先生には個性的な先生が多かったです。
3・4年生のときの担任はとにかく熱い先生でした。道徳で見るビデオはいつも感動して泣いている。学校行事には、生徒以上にはりきっていて、すごかったです。一番になることよりも、目標に向かって頑張ることの大切さを教えてくれた先生でした。この先生の息子さんもまた同じ高校の同級生なんですよね。
5年生のときはまったく逆のタイプの先生でした。学校行事は適当にやりなさい!という楽な感じ。学校で1日ゲーム大会(ゲームボーイ・トランプ・オセロ・UNOなどみんなで遊べるものを持ち寄り、ズートゲームを楽しむ会)カキ氷大会(氷・シロップ・カキ氷の器械をみんなで持ち寄り、ズートカキ氷を食べ続ける会)たこ焼きパーティ(もちろんたこ焼き器・タコ・たこ焼きの粉・ソース・青海苔・マヨネーズ持参。)など・・・。
普通学校では出来ないことをやらせてもらいました。一見いい先生じゃない!と思われるかもしれませんが、実は、この先生生徒の間ではとても厳しい先生で有名でした。
礼儀作法・言葉使い・学校のルールなどに厳しく、「原稿用紙飛ばすぞ!」と言うのが口癖。何か悪さをすれば、この400字詰めの原稿用紙が渡される。これを渡されたら、次の日までに、漢字を誤字脱字なしで、書いてくる。もし、1字でもミスが見つかれば、やり直し。間違えた個数だけ原稿用紙の枚数がプラスされる。男・女容赦なし。毎日ビクビクしながら生活していました。しかし、1年の最後にはそんなに苦ではなくどちらかというと、楽しみながら、書いていましたね。(原稿用紙もらわないように努力すればよかったんですが、そこまで賢くかたったです)
なんとしつこいようですが、この先生の息子さんも同じ高校の同級生でした。(偶然って凄いですね。世間は以外に狭いと感じました。)
高校時代
私の進学した大安寺高校は、岡山5校の一つ。選抜制がなくなった次の年です。私は、高校時代特になりたいものも無くやりたいことも無く時間ばかりが過ぎていきました。進学校で周りのみんながとても勉強が出来ていて、私は、落ちこぼれだぁ〜と感じることが多かったです。どんなに努力しても、なかなか、上へ上がれない。努力しても無理だ。なんて感じるようになり、努力もしなくなった。成績は下がる一方で面白くなくなった。その分いっぱい遊んでしまいました。
ただ、後から分かったことだが、みんな私以上に色んな努力をしていたし、目標もしっかり持って頑張っていた。私には、何も目標がなかったし、努力もそんなにしていなかった。という反省ともっとやればよかった。という後悔だけがのこりました。
苦い経験をしました。
そんな私も、進路を決める時期になったとき、凄く悩みましたが、専門学校に行くことに決めました。回りからは大安寺高校なのに専門学校へ行く?もったいない。とか色々なことを言われました。しかし、私の決意は固かったです。私が、進学をきめた大阪歯科助手専門学校は、名前のとおり大阪にあります。岡山には助手学校がなかったのも一つの理由ですが、親に甘えていた生活を送っていたので親元を離れて自立したかったし、この学校は礼儀作法にとても力を入れていたので自分が変われるかもという期待のもとこの学校に入学しました。
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専門学校〜就職活動時代
専門学校時代は充実した生活を送ることが出来ました。勉強と遊びのオン・オフがしっかり出来ていたので、両立することが出来たし、楽しかったです。多くの資格や知識を身につけ実習にも行きました。私の学校は1つの医院に2ヶ月みっちり実習に行き色々な体験をさせてもらいました。
就職を考える時期になると、やっぱり岡山に戻ろうという意識が高くなりました。岡山市内の歯科医院を調べてたどり着いたのが、梅田歯科でした。
就職してはじめのうちは、正直やめたいなぁ。なんて思う事もありましたが、今では色々な仕事をやらせてもらえるので仕事がとても楽しいです。
まだまだ、未熟で勉強不足だとは思いますが、日々色々なことを学び、ここ梅田歯科でもスタッフや患者様と色んな思い出を作っていくとともに、自分自身成長していけたらなぁと思います。
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