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子供の頃は好奇心旺盛でやんちゃな子でした。
幼い頃の写真をみると、ほとんどズボンをはいています。
男の子とよく間違われていました。(笑)
小学校低学年の頃、夏休みのラジオ体操の帰りに公園でコウモリの赤ちゃんを発見。
ポケットにしのばせ帰宅し「これ飼ってもいい?」と母に差し出すと絶叫!!もちろん却下されました。また、弟が生まれ使用しなくなったベビーバスをザリガニで埋め尽くしたり、何かと母を困らせていました。
小学校〜高校時代は、勉強より運動に力を入れていました。
逃げ足が速かったせいか足が速く、どの学年でも短距離は女子の中ではトップでした。陸上部の先生からのお誘いもあるほど・・・しかし、部活は中学時代がソフトボール、高校時代がバレーボールと団体競技に所属。この頃にチームワークの大切さを学びました。
勉強はというと中学2年の頃、2つ上の優等生な姉と5つ下のカワイイ弟の間でほったらかしの自分に目を向けさそうと、勉強もせず夜遅くまで遊びまわっていました。もちろん成績は下から数えたほうが早い順位。母から注意されることはあっても、父から怒られることはなく「私はどうでもいいのか?」とその頃から父とは話をしなくなりました。これは恥ずかしながら、つい最近まで続いていました。2年前、日本創造教育研究所の研修で「苦手を克服する」という課題に「父と話をする」を目標にしてから、少しずつ父のことが分るようになり話もするようになり、今では実家に帰った時には主人と3人でよく話をするようになりました。振り返るとあの頃は自分が中心で相手のことは何も分っていなかったと思います。
話がそれましたが、中学3年の担任でソフト部の顧問でもあった先生のおかげで高校は岡山5校の1つの芳泉高校に進学することができました。とてもフレンドリーな先生でした。生徒目線で話を聞いてくれたこともあり、この時「教師になりたい!」と思い普通科への進学を希望し勉強を頑張りました。先生が見かねて自分のクラスにしたと後に母から聞きました。本当に感謝しています。
なぜ、私が歯科衛生士になったかというと成り行きなのですが、今では運命だと思っています。
運動にしか能が無い私は「体育の教師」になるべく大学進学を志望しセンター試験を受け、2次試験の実技を猛練習していました。その頃、学校に教員試験を控えた非常勤の先生も実技の練習中で話を聞くと、教師の資格を持っていても教師になるのは難しいとのこと。早く自立したかった私は、それを聞いてあっさり教師の道を諦め「手に職」のある道を探しました。美容師、看護師、歯科衛生士、調理師・・・募集のまだあった看護師と歯科衛生士を受験し、看護師は不合格で歯科衛生士が合格ということで歯科衛生士の道を進むことになりました。
歯のことしか勉強しないと思っていたのに解剖や薬学、心理学など体全体のことを学ぶという事と、教科書の多さに驚きました。勉強は今まで学んだことのないものが殆どだったので大変でしたが、小学校へブラッシング指導では、みんなでどうやったら子供達に分かるか話し合いながら道具を作ったりして楽しかったです。実習医院では実際に患者様に接して学校ではできない貴重な体験をさせて頂きました。そして、あっという間に2年間が過ぎてしまいました。

無事に歯科衛生士の国家試験に合格し、岡山のN歯科に就職。とても忙しい医院でいきなり色々な事を任されました。もちろん初めは失敗ばかりでしたが、先輩の「失敗して上手くなるのよ」の一言に励まされ失敗をばねに頑張りました。2年程経つと、大体のことはできるようになり物足りなさを感じていました。(まだ歯科衛生士の素晴らしさに気が付いていなかったのです)ちょうどその頃、友達が「倉敷にカフェをオープンさせるけど、やってみないか?」と誘いがあり、3日後にはO.Kの返事をしていました。
料理とお菓子作りは好きで友達に作ったりはしたけれど、お客様に提供しお金を頂くのは初めて。
オープンの日は手が震えました。しかし、最初のお客様の笑顔は今でも覚えています。
ここでは、ほぼ全てを任されていたので経営の大変さを学びました。雑誌やテレビで紹介された時は驚くほどの人で一人では手が回らない程でしたが、それを持続させることは簡単ではありませんでした。内装を変えたり、メニューを変えてみたり、いろんなイベントをやってみたり・・・いろんな事に挑戦していく間に倉敷に友達のいなかった私にも多くの仲間ができ支えてくれました。
ここでは一人では何もできないことを学びました。
もうすぐ3周年を迎える頃、祖父が入院しました。何度もお見舞いに行くうちに痴呆も始まり寝たきりになった祖父を介護するうちに、介護の大切さを感じホームヘルパーの勉強を始めました。
そして、ヘルパーの資格をとりカフェの仕事は3周年の記念の日に引退しました。

歯科衛生士の資格とヘルパーの資格を生かせるよう、施設や在宅に往診をしている倉敷のF歯科に就職しました。この医院では月に1度「アイビークラブ」というF歯科を含めた6医院での勉強会で、講師の先生を呼んで講演を聴いたり、それぞれの医院の意見交換や症例発表をしていました。ここで歯科衛生士の仕事の奥深さを知りました。まだまだ未熟でした。この年、カンボジアのボランティアに参加しました。このボランティアに参加したことで、歯科衛生士ということだけでなく元気で仕事ができるということにも感謝しなければならないと感じました。
そして3年後、運命のH歯科との出会い。新規開業する医院に就職しました。ここでは開院前から専門の講師の方から応対接客マナーの指導を受けました。一般企業に勤めた経験のない自分の世間知らずさを痛感しました。そして、いろんな研修に参加させてもらい、講師の先生や歯科衛生士の方の話を伺ううちに「歯科衛生士の仕事って素晴らしい!」って思うようになりました。すると、仕事が楽しくなり患者様と話をするのが苦手だった私がおしゃべりに変身しました!

結婚し岡山に引っ越してすぐに妊娠していることが分かりました。子供が好きなのでとても嬉しかったです。しかし、私の思い描いていた妊婦生活とは違い激しいつわりの末、入院。さらに、やっと安定期に入るもつわりは治まらず、5ヶ月の終わりに破水し産声を聞くことの無い出産を経験しました。小さな我が子を手にした時、命は授かり物だという事と命の重さを実感しました。
春の陽気と共に気持ちの整理もでき、自分らしさを取り戻すべく仕事を探すことにしました。
ホームページやブログを見て、先生やスタッフの情熱が伝わってきて「一緒に働きたい」って思いました。そして今、うめだ歯科クリニックの一員になれたことに感謝しています。
歯科医院は痛くならないと・・・という方が多いと思いますが、「また来たい」「ここに来てよかった」と思っていただけるように技術やハートを磨いていきたいと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。